一年間の無職とモラトリアムの終わり(仮)

光陰矢の如しというだけあり、時の流れは早いもので本年もまもなく終わりを迎える。
途中RSしかやってなくない…?というタイミングもあり、ブログも振り返るとRSのことしか書いていなかったが、最近ではすっかりやる気を失いつつあるのである種の安心感を持って年を越すことができる。
別に引退するわけじゃないので、物理ランサー(絶滅危惧種)の役に立ちそうなことをこれからもいっぱい書くけどね!!

この一年は特別であった。
なにせ働いていないのだから。
自由な生活を送れる大学生活をしばしばモラトリアムと表現するが、無職へ飛び出す勇気さえあればいつでもそれはいつでも手に入るのだなと感じた。
そうはいっても無職になり失ったものも多い。安定した収入や生活はもとより、健全な精神も損なったと思う。
美容院での「今日はお休みですか?」という問答に「休みです」としょうもない嘘で答えることもすっかり手慣れてしまった。
反面、大学時代よりも時間的な面でも金銭的な面でもはるかに自由な時間を得たこともひとつの事実である。

退職日は厳密には2020年1月20日なので一年間無職として過ごしたわけではないが、2019年12月13日が最終出社で以後は有給であったため、嘘偽りなく一年間働かなかった
下品な表現ではあるがまだ「金」はある。140連してしまったwinterスクラッチのようなキャンペーンが毎月ありでもしなければ、しばらくは安泰だ。
今からもう一年無職として過ごしても資金的には何の問題もない。
以前使っていた櫻井のクラシックギターと外出機会を失い埃を被ったロレックスの腕時計を売ってお金の足しにすれば、二年以上無職生活を続けることができるだろう。
実際にはギターの先生の手伝いで多少の所得があるので、もっと長い期間生活できるのではないだろうかと思う。

しかし、働くことにした。
無職というのはあまりにも優雅で自由だ。だが、人生に張り合いがない。
サラリーマンとして税務の勉強をしている時は大変ではあったけども、同時にやりがいもあった。
無職はあまりにも刺激が少ない。必要に迫られて何かを学ぶような好機もない。
無論、自分で学べばいいのだが、そうなると自分の視野にあるものしか学ばない。未知との遭遇はない。

早い話が無職であることに飽きてしまったのだ。
挑戦したいことも頑張りたいことも数え切れないほどある。
しかし、張り合いのない無職生活の中では、それらに励む気概がわかない。
あれほど望んでいた休暇も、それが当たり前になるとありがたみが薄い。経済学でいうところの限界効用逓減だろう。休みが続けば休みの効用は減る。

働く意思が出てきたここまではいいのだが、困ったことに…フルタイムで働く気にまったくならない
税務は嫌いではない。顧問先の財務や節税に頭を抱えるのも悪くなかった。
ただそれでも、今前職に戻って普通に正社員として働く気持ちになれない。
明確な理由があるわけではない。気乗りしないだけともいえる。

そんなこんなで、久方ぶりにアルバイトをすることにした。結果的に、某CDショップで働くことになった。
アラサーフリーターの誕生である。ある種の貴族趣味を帯びたアラサー無職よりも何やらヤバイ社会的地位に感じるが、なんとかなるだろう、多分。
12月21日が初回だったので年内すでに数回勤務した。資金的に厳しいわけではないので週3日程度の勤務予定だ。

社会人2年目の時に興味本位と節税を考えて法人を立てあげていた(失業給付を受けるにあたって役員だとまずいので、現状では役員から外しているが)のだが、中古品販売に興味があったためその法人で古物商許可を取得していた。こうした興味があることを学べればなという気持ちでアルバイト先を選んだ。音楽は好きだし。
ただ、所詮はアルバイトなのでその知識がどの程度深いのか、また、今後役に立つかどうかといった点は謎ではあるが粗利益率や回転率は社内で公表されているようなので、そうした数値と想定される固定費を考えれば実際の古物商のビジネスモデルはよく理解できるだろう。

音楽が好きな人が多いのでぶっとんだ人もいるかと思いきや、そんなこともなく皆親切な方でまっとうな職場である。
年齢層は20代~30代が多く、職場の平均より私はやや上の年齢だった。アラサーフリーターのヤバさを早くも実感
当然、私よりやや若い子に仕事を教わる。そういうことには抵抗がないのが幸い。
ただ、ベースを弾いていてフリーターや作曲していてフリーター等、耳が痛い自己紹介が飛び交った(私の胸中の話であって、自己紹介の内容に難色を示しているわけではない)。
率直に胸の内を明かせば、あまり長居してはいけない雰囲気を感じている。長く居座ることは緩やかな自殺に等しい。

しかしまさかアラサーにもなってアルバイトする日が来るとは…ね。
文面にすると明らかに転落人生である。

来年の師走にはとうとう30代に突入してしまう。
さすがにどう生きるのかを決めねばならぬ。生きる手立てを見つけなければならぬ。最後のモラトリアムが終わったのだから。

さようなら無職よ。夢にまで見た無職よ。現実に立ち返らなくては。

日記
無職と美学とシュルレアリスム

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